人物着彩2019

  • 2020.01.27 Monday
  • 19:22
ルシアン・フロイド「描くことについてのいくつかの考え」(1954)

 

 絵を描くにあたって私が目標とするのは、リアリティをより濃密なものにして人の五感を動かすことである。この目標が達成されるか否かは描き手が自分の選んだモデルないし物体をどれだけ濃密に理解し、それらに対してどれだけ濃密な思いを抱いているかによる。それゆえにこそ、あらゆるアートのなかで絵画においてのみ、実際的な知識や情報よりもアーティストの直感的資質がアーティスト本人にとって重要となるのである。



 絵の描き手は、自分が大事に思うすべての事柄に関して心の最奥部に秘めている感情を、他人にとってリアルなものとする。絵を眺める人間すべてに対しひとつの秘密が開示されるのは、描き手がその秘密を感知する際の密度の高さを通じてのことである。描き手は自分が抱くいかなる感情や感覚にまったき自由を与えねばならず、みずからが自然と惹きつけられるいかなるものをも拒否してはならない。そのような我儘さだけが、描き手が自分にとって本質的でないものを捨て去り、みずからの嗜好を結晶化させるための規律として機能するのである。



 描き手の嗜好なるものは、人生において描き手のオブセッションとなっている事柄のなかから自然に形成されてゆくしかないのだから、描き手は、自分がアートにおいて何をなすのが適当か、などということを自問する必要はない。みずからの嗜好を完全に理解することによってのみ、描き手は、あり合わせの観念に適合させようという下心を持って事物を眺める悪習から解放されうるのである。<中略>



 生命を表象することを拒否してみずからの言語を純粋に抽象的フォルムに限定する描き手は、単なる美学的な感情より大きなものを揺り動かす可能性を捨ててしまっている。生命そのものを主題とし、対象を眼前において------あるいは、心の中に常にとどめ置いて------仕事をする描き手の目的は、いわば人生をアートへと字義通りに翻訳することである。対象は常に、この上なく精密な観察のもとに置かねばならない。明けても暮れてもそれが実行されれば、対象は--------それが男であれ、女であれ、あるいはモノであれ----------いずれは全てを開示する(すべてが開示されることなしには、そもそも選び取ることなど不可能だ)。



対象が全てを開示するのは、その生命の--------あるいは生命の欠如の------いくつかの側面、そして側面のひとつひとつを通じてであり、動作や姿勢を通じてであり、刻一刻の変化を通じてである。生命に関するこうした知見あってこそ、アートに人生からの完全な独立性が与えられるのである。



この独立性が必要であるのはなぜかと言えば、人の心を動かすためには、絵画は単に人生を思い出させるだけでなく、独自の生命を獲得することによって人生を反映していなければならないからである。絵画を人生から独立させるためには生命に対するまったき知見が必要であると私が述べるのはなぜかと言えば、描き手が自然を畏怖し遠くから讃仰するだけであれば、その描き手は自然をとことん観察することができず、表面的な模写にとどまってしまうからだ。そのような描き手は、自然を変化させるだけの勇気を持ちえない。<中略>



絵は独立の存在としてそこにあるのだから、その絵がモデルを忠実に模写したものであるかどうかは全く重要でないのである。絵が見る者を納得させうるかどうかを決定するのは、その絵自体がいかなるものであるか、絵そのものに何を見ることができるのかなのである。



モデルが果たすのは、描き手の感興のきっかけになるという、きわめてプライベートな機能だけだ。絵の画面こそは描き手がその絵について感じる全てであり、描き手がその絵に関して保存に値すると考えることの全てであり、描き手がその絵に投資する全てなのである。描き手が絵のためにモデルから得るものが、真の意味で余すところなく得られたならば、いかなる人物も二度描かれることはない。



人やモノが放つオーラは、それらの肉体と同じくらいそれらの一部である。人やモノが空間内に及ぼす効果は、それらが持っている色や匂いと同じくらいそれらと一体である。ふたりの異なった人物が空間内で発揮する効果は、蝋燭と電球の効果が異なるほど異なったものでありうる。



それゆえ描き手は、対象に関心を払うのと同じくらい、対象を取り囲む空気にも関心を払わねばならない。自分の絵に発散してほしいと願う感情を描き手がキャンバスに記録することができるのは、観察を通じて、空気を知覚することを通じてなのである。



生徒作品(予科・小学2年生)



生徒作品(予科・小学2年生)



生徒作品(予科・小学1年生)



生徒作品(予科・6歳児)




生徒作品(予科・6歳児) 

 芸術作品の創造において、完璧な幸福の瞬間は決して訪れない。それが訪れる可能性が創造のさなかに感じられることはあっても、作品の完成が近づくと消え失せてしまう。というのも、自分が描いているのが一枚の絵に過ぎないことを画家が理解するのは、まさに作品の完成が近づいたときであるからだ。そのときまで描き手は、絵が生命へと飛躍してくれるのではないかという大それた望みをほとんど抱きそうになりつづけてきたのである。もしその望みがかなったならば、完璧な絵が描かれ、完成をもって描き手が引退することもありうる。



生徒作品(本科・小学5年生)




生徒作品(本科・中学1年生)




生徒作品(本科・小学2年生)




生徒作品(本科・小学4年生)



生徒作品(本科・小学5年生)



生徒作品(本科・大人)



生徒作品(本科・中学2年生)

描き手を駆り立てるのは、この大いなる不完全性である。そのため、描き手にとっては、創造のプロセスがおそらく絵そのものより必要になる。実のところ、絵を描くことを習慣にさせるのはこのプロセスなのだ。



(ルシアン・フロイドとの朝食 描かれた人生、ジョーディ・グレッグ著、小山太一・宮本朋子訳、みすず書房、資料xxiii〜xxvより引用)



Lucian Freud, Portrait on a Grey Cover,1996

絵画教室下落合アトリエ

講師 村尾 成律

www.shimorie.com

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